厳しさだけでは

 テレビで連日連夜話題になっているJR西日本福知山線脱線事故。108人の尊い命がなくなり、ただただ胸を痛めるばかりです。最近では、テレビにその話題が挙がるたびにチャンネルを変えてしまいたくなるほどです。
 確かに被害に遭われた方は激しい怒りを感じている。被害者の遺族がJRに対して怒りをぶちまける、それは当然のことです。しかし、JRの社長に対してマスコミのあの凄まじい批判は何?と思ってしまいます。「そういう世界だから」と言われてしまえばそれまでなのですが、葬儀に参列した社長に対して、罵声を飛ばし言いたい放題の発言。手が震えて線香すら置くことができない社長に対してなぜ、よってたかって攻め立てなければならないのか。見ていて悲しい気分になります。上に立つ人というのは責任を問われるのは分かりますが、こうした厳しさだけでは何も生まれないと思います。
 高見運転士に行われた「日勤教育」も話題になりました。詳しいことは分かりませんが、聞いた限りでは、見せしめ、屈辱以外の何ものでもありません。こうした教育の中からはよいものは何も生まれないと思います。
 日本という国が、人が利益や快適さを求めるあまり、人間らしさを失っていってしまっている、安らぎや落ち着きが取り戻せない・・・何だか寂しさを感じてしまいます。
 こんなことを偉そうに書いていますが、その私もこの社会の恩恵を受け生きています。言いたい放題なのは私の方かもしれません。
 いろいろ考えさせられた事故でしたが、「厳しさの中の優しさ」が大事なのだと改めて感じました。